公式サイトさまのおはなしに触発されたものです。






「父上、ラタトゥユを作ってみたんです、食べて頂けますか?」

それは、幼い僕が初めて料理を作った日だった。

 

 

7つの頃、僕の母は亡くなった。


母は綺麗なクリーム色の長い髪に、優しい目をしていた。


トマトが大好きで、得意料理はラタトゥユだった。


父も僕も、母の作るラタトゥユが大好きだった。


母は父を愛していたし、父も母を愛していた。


もちろん、僕もそうだった。


町長である父と、綺麗な母、僕は幸せだった。


だけど突然、糸が切れるように彼女は倒れた。


そして、運ばれた病院で静かに息をひきとった

 

 

いつも母が編み物をしていた、暖炉の前の椅子。


そこに母が座っている錯覚をよく見るが、そこに座るは、母ではなく、父だった。


母が亡くなってから、ずっとその椅子でふさぎこんでいる

 

 


僕だってさみしい。


だけど、父はきっとこれ以上に辛いのだろうと


僕がしっかりしなければ


僕が父を、家を、この島を支えていかなければと思った

 

だから僕はまず、父に元気になってもらおうと、母も父も僕も好きだった、ラタトゥユを作ってみた

 

初めて作る料理は、想像以上に大変で、台所はぐちゃぐちゃになったし、ものすごく時間もかかった。ついでに指も切ったのに、全然きれいにできなかった。


それでも父に食べてほしくて


ただ、元気になってほしくて

 

だから頑張って作った。

 

 

だけど

 

 

「父上、ラタトゥユを作ってみたんです、食べて頂けますか?」


意気揚々と、父の背に向かい、鍋を持ったまま小走りに寄った


少し離れたところで声をかけてみた。


きっと、こちらを向いてくれる。

 

だけど

 

 

「いらないのだよ

「え?」


ぽつり。こちらも向かずに。聞こえるか聞こえないかの小さな声で、拒否の言葉を呟いて。それきりまたふさぎこんでしまった。

 

うえ?」

……………

 

 

呼んでも、こちらを向いてくれない。


悲しかった


寂しかった


両手で持つ鍋の温かさが虚しくて悔しくて恥ずかしかった。

 

 

結局ラタトゥユは1人で一口だけ食べた。


おいしくなかったし、涙が止まらなかったから。


僕は無性に母に会いたくなった。

 



ある日、いつまでもふさぎこみ続ける、一向に立ち直る気配のない父に痺れをきらし、浅く眠った父から結婚指輪を外し、暖炉の奥に隠した。


父には僕がいる。


僕がいるんだ。


いい加減目を覚まして、もう一度僕に笑顔を向けて欲しかった。




 

部屋で知らん顔で本を読んでいた僕に、起きた父は血相を変えて問い詰めてきた

 

「指輪を…!指輪を知らんかね!?あれは大事な物なのだよ!!!!


久々に合った目は、僕なんか見ちゃいなかった。


もう、僕は悲しいとか悔しいとか、そんなもの通り越して、呆れしか感じられなかった。

 

知りません」


冷たく紡いだ言葉に、父は火が消えるように萎み、「そうか」と情けなく小さく呟いて、危ない足取りで出ていった。


しばらく母の名前を呼ぶ声と、母への謝罪が聞こえていた。

 

 

 

あれからもう10年以上経った。


父も、随分変わった。


元に戻ったと言ってもいいかもしれない。


新しく来た牧場主の為にいろいろ忙しいらしい。


埃まみれのキルトを嬉しそうに眺める父に、それは何ですかと尋ねれば


「島に代々伝わる伝説のキルトなのだよ。あの新牧場主にあげるのだよ!


と楽しそうに言った。そして


「暖炉の奥にしまっておいたのだよ。」


と続けた。

 



ふとあの時の記憶がよみがえった。あそこには確か

 


「そうだ、その牧場主くんにトマトをたくさん貰ったのだよ!!


思考を遮った父の言葉に、


まぁいいかと思わされた。

 


 

「じゃあ、僕がラタトゥユを作りますね」


ふっ、と思わずほほえんだ僕は、結局父が指輪を見つけたのかどうかは聞かなかった。

 



 

くてい記憶

 

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