「バッカみたい」
ガタンガタン小刻みながら乱暴に揺れる車内で窓枠に頬杖をついて零した言葉は予想外に大きかった。
驚いて振り向いた周りの人たちも、目の前を流れていく景色も、窓に映る自分の顔も、気を紛らわせてはくれなかったから
溜息をついて俯けば、先程の事が思い出された。
「誰とメールしてるの?」
ソファーに寝っ転がってケータイをいじっていれば、洗い物を終えたらしきママがエプロンで手を拭きながら覗き込んできた。
「…別に。普通に宝鈴だけど」
そのいかにも心配してますな口調とか表情がなんだか癪に触ってわざとそっけなく答えた。
別に誰とメールしてようと関係ないし、そんなに心配されるような歳でもない。そう思ってた。だから
「…え、宝鈴って…あのヒーローやってる子でしょ?」
そんな歪められた表情されるとは思わなかった。
「…そうだけど、何?」
「…なんだか…いいのかしら…」
宝鈴の名前を出して変な空気になったのが意味わからなくて、濁すように言葉を零す母にいらっとしてつい口調を荒げた
「なに?どういう意味?」
でも、
「ヒーローと私生活は別けたほうがいいんじゃないの?」
そんな言葉にぐらっとして、体中から熱を出して湧き上がってくる何かに吐き気がした。そんな何かが頭で弾けて眩しい爆発。頭は真っ白になっても心は動いてた。
「意味わかんないこと言わないでよ!!私だってちゃんとやってるじゃない!」
そこなの?心の片隅の誰かがそういった気がした。
がんじがらめになった頭が「痛い」って言ったから、
混乱した頭の言うことなんか気にして思わず家を飛び出した。
無意識に掴んでたバッグを肩にかけて
行くあてもなくブラブラして、「どこか遠くに」なんて電車に乗り込んだ。
窓際に座って頬杖をつけば外の景色しか見えなくなって
流れ始めた時の景色が今この瞬間の景色と重なった。
「…あーあ」
思い出さなければ良かった、ともやもやした心からため息をつけば駅に入る電車はがたんと揺れた。
いみ、わかんない。
こんな長いレールいちいち区切って名前つけて、何の意味があるわけ。全部同じでいいじゃない。
そんなめちゃくちゃな事考えて駅名を見てたら、横に伸び始めた景色の中に、冷たい目の顔が映った。
国境だってそう、こんなムダに広い地球を細かく区切ってムダな争いなんかして、バッカみたい。
だからヒーローなんてのが必要になるのよ。
過ぎる景色と一緒に幼い子供が流れた。背の高い子と低い子。低い子の方は顔をぐちゃぐちゃにして泣いてた。
言語だってそうよ、みんな一つにしちゃえばいいじゃない。
英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、日本語、言語だけじゃない、ドもCもCもハも、音楽事務所も、ヒーローも一般人も、カリーナもブルーローズも
みんなおんなじで、いいじゃない…
クリアだった視界が急に滲んでぼやけたから
ビックリして俯いたけど、逆効果だったみたいでぼろぼろこぼれた。
ぼたぼたと音を立てて染みが広がるスカートの前に目がうつしていた映像の中に、頭をよぎったばっかりの人物の看板があった気がした。
なに、わかんない、なんで泣くわけ。
止まらない涙をこすっても、震える瞼からはぼろぼろ零れ続けるし、ぶるぶる痙攣する唇からは嗚咽が漏れそうになった。
止まってよ、止まりなさいよ。自分の体なのに全然言うこと聞いてくれなくて、めちゃくちゃになる顔を両手の中に埋める。
絶対、絶対今だれにも顔を見られたくない。
見られたくないって、思ってたのに、
「カリーナ?」
聞き覚えのあるその声は、私に顔を上げさせた。
「あぁ?お前泣いてたのか?」
私がその名前を呼ぶ前に言葉を撃って。目の前の歳くった男にはデリカシーなんてない。
その人がここにいる驚きと会ってしまった嬉しさに、今までの心情なんか吹き飛んで笑顔になりそうになるけど、素直にはなれない。
「な、なによ、目にゴミが入っただけだから!」
「まぁそう言うなよ、この虎徹おじさんが聞いてやるぜ?」
つん、とそっぽを向いて突き放すように言っても、この人はいつも構わずしつこく干渉してくる。だから、つい冷たくなっても大丈夫。そんな安心感があった。ほら、やっぱり今も勝手に向かいに座って。
「ちょ、ちょっと何勝手に座ってるのよ!普通の女なら訴えてるわよ!」
…わかんないけど。
「ふーん?お前は訴えないのか?」
「訴えられたいわけ?このドM!」
さっきまで泣いてたのが嘘みたいに言葉が出るし、わくわくする。勝手にニヤける顔を抑える点では言うこと聞いてくれないのは同じなのだけど。
この人の周りはいつも温かい空気が流れてる。触れた人は皆優しくなるような、そんな空気。それに気づいたのはごく最近で、その瞬間に、好きになってたって気づいた。
だけど、
「しっかし偶然だな、お前こんなとこでなにしてんだ」
ぱん。破裂した。そんなカンジだった。
急に撃たれた言葉は、私を現実と衝突させた。
「…べ、別に…」
「別にって…そりゃないだろ、なんかあんだろ」
どうしよう。次々に浮かぶ言葉の中で一際存在を主張してきたのがそんな言葉だった。
どうしよう?って何を?この場の言い訳ってこと?それとも、それとも…―
ぐるぐる高速回転する頭は、外面上にまで気を配れなかったから
目を見開いて冷や汗を伝わせて固まった。
「親御さんに心配かけんなよ?」
でも、その言葉で弾けたように体が動いた。
「っなによ!なにもしらないくせに!」
また荒げてしまった私の声で静まり返った車内で、だけど彼だけはなんにも変らなかった。
「やっぱなんかあったんだろ」
ほら、話してみろよと笑う彼の顔は優しくて、純粋無垢な子供みたいで、それでいてやっぱり年上なんだと思わせる。
だからこんなに体に悪そうな熱も、すぐに引いていく。
「…なんもない」
「嘘こけー」
顔が赤いのは、今怒ってたからって事でいいと思うから何も考えない。ただ、この人に会う前に考えてたことが急に浮かんできた。
「私と話してていいの…?」
「あ?」
ヒーローと私生活を別けるというのは、仲間と喋ることもいけないのだろうか。
「…なんでもない」
「あんだよ、聞こえなかったっつの」
そんなの、さみしい。
でも、彼は話しかけてくれた。それが彼の答えだって、考えなくてもわかる。
「なんでもないって言っ…―!」
ふと見た彼の手元に、記憶に新しい炭酸飲料水が握られていた。
数分前に、あの人物と一緒に看板に写っていた商品。
「…それ…」
「?あぁ、これか?」
私の視線を辿ってそれを見た彼は、目元まで持ち上げて見せてにかっと笑った。
「なんかよ、飲みたくなっちまうんだよな。お前が宣伝してっとうまそうで」
どくん。あれ、心臓ってこんなところにもあったけって所から心音。
「わ、私じゃないし…」
どくどくどく。鼓動がうるさい。
うれしい、うれしい。でも、彼女は彼女で私じゃない。
カリーナは高校生で、ブルーローズはヒーローだから。
別けないといけない存在。だから、だから私じゃない。
「なに言ってんだお前?カリーナもブルーローズも全部お前だろ?」
皆一つだろ。そう言った彼の声は当たり前のことを言ういつもの口調と変わりなくて
だから、だからこそ
信じられなくて、でも彼はそういう人で…―
すごい、嬉しかった。
「―――っ」
「!?な、何だよ!?何で泣くんだよ!」
わかんないだろうな、この人、鈍いから。
世界で一番私の事を解っていて欲しかった人にとって
カリーナもブルーローズも私だった。
笑いながら泣く私に慌てふためく彼は別っていなくて
きっとどれだけそれが私にとって嬉しいか、全然知らないんだろう。
だから、きっと私は彼を好きになった。
「はーあ…またやられちゃった…」
「あ?え?何?」
にこり。訳がわからなそうにする彼に笑いかければ、
ゆるやかに電車は駅に入る。
「もう負けないから。見てなさいよね。」
そう宣戦布告して立ち上がれば、困惑した彼が引き止める。
「ちょ、待てよ、どこ行くんだ?」
「引き返す!お家帰らなきゃ!」
くるんと振り返りそう笑えば、彼は不思議そうに、でも嬉しそうに「そうか」と言った。
ぷしゅうと音を立てて扉を閉めた電車を肩越しに見つめ、走り出した窓から手を振る彼に手を振りかえす。
(なによその安心した顔、パパみたいじゃない)そんな悪態をついたはずの顔は、走る電車に幸せそうな笑顔を写していた。
同じとか違うとか、別けるとか一緒とか、
そういう考え方自体が間違ってたんだ。
だから、答なんてあるはずがなかった。
そんな簡単なことを簡単に教えてくれてしまう彼に、私はまた助けられてしまった。
(早く帰ろうっと)今日はきっとママが私の好物を作って仲直りしようと待っててくれてるから。
蒸発現象
-大事な事は時として見えなくなる-
今度ヒーローみんなをうちに招こうかな。