ただ、今日私は

 











 

この世でまだ私の知らない味があるなら、全部全部知りたい。そう思ってた。

 

 

 

「チハヤーおやつちょうだいおやつ!

「マイ君はさ、我慢ってのができないわけ?

 

自慢のお腹の時計がちょうど3時をつげたから、お客さんのいない店内にそう叫べば、ため息を吐きながらもチハヤは卵を手にとってくれた。

 

パンケーキでいい?と卵を見せたチハヤに勢いよく頷けば、慣れた手つきでそれを割る。

 

 

「パンケーキパンケーキ〜お腹すいたよ〜」

「ちょっと黙っててもらえる?

 

飛び込んだカウンターに頬をつき、待てないよーと足をぶらぶらさせれば金串よりも鋭い声が投げられる。

ぷうと頬を膨らませながら深く座りなおし、寝そべるように覗き込んだ。

 

カツカツカツ、とアルミがぶつかる軽い音に合わせて踊る小麦粉と、とろり溶けだしてその中を奔る卵。下から包み込む牛乳。それら全てを操るチハヤは、普段どんなに憎くたって悔しいけど確かにこのチハヤは、絵になるなぁって思ってた。

 

ギッ、ガチャン。一瞬金属の嫌な音を立てながら置かれたフライパンに、ぼわぼわぼわっと熱が広がって、綺麗な動きで油が流し込まれる。

 

わー、もうちょっともうちょっと!と身を乗り出すと、陰になっていた台に、可愛らしいペーパーの敷かれた編み籠に入ったクッキーが置いてあった。

 

見慣れない物だったけど、「クッキーあるじゃん!」と踊る心持ちで手に取ると、その途端に「ダメ!!」とすごい勢いで取り上げられた。

チハヤが大声出したことにちょっとびっくりしたけど、意地悪してるとかそんなんじゃなくて、きっと大事な物なんだってわかった。多分、直感。

 

「な、なんでーケチー」

 

装う意味もわからないけど、なぜだかいつも通りに装わないとと思ったけど、ぎこちなくなったことくらいなら私でもわかった。

 

「なんででも。」

 

全く、油断も隙もないよね。と呟きながらクッキーをさっきより少し私から遠い所に置き、再びボウルに手を添えた。

 

とろろ、と生地があっついフライパンに注がれて、ゆらゆら揺れなくなる。

 

初めてだなって思った。

初めて、目の前の料理にお腹が踊らない。

おいしそうな音をたてておいしそうなにおいをたてておいしそうな色をつけていくその料理に、目は確かに釘付けなのだけど、そうではなくて。

心が頭が、どこか考える場所が、さっきのクッキーのことばかり考えて離さなかった。

チハヤのことじゃないもん、なんて、訳わからない言い訳を一つして。

 

「ね、一口ちょうだい」

 

かたん、少し身を乗り出して言えば、不思議そうな顔がこちらを向く。

 

「は?もうちょっとで焼けるから待ってなよ」

 

生焼けが食べたいなんて卑しいこと言わないでよね、とフライパンの上 宙返りをするパンケーキに目を戻したチハヤに、「そうじゃなくて、」と繋げる。

 

「クッキー、さっきのクッキーの方。ちょうだい。」

 

 

真っ白なお洒落なお皿の上、ぽふんと柔らかそうに落ちたパンケーキ、冷凍庫に向かうチハヤの足音、冷凍庫の扉の怖い音。

チハヤがパンケーキにアイスを乗せるまでのたったそれだけの時間だったけど、なぜだかすごくすごく長く感じた。

 

 

 

だめ。」

 

ごとんとお皿と木製のテーブルを鳴らして、静かにチハヤは言った。いつもみたいに意地悪な声も、馬鹿にしたみたいな目も、そこにはなかった。

 

なんで」

「なんででも。」

 

いいから早く食べなよね、と目も合わせずにフライパンを流しに置いたチハヤに、なんだかすごく悔しくて、悲しいものがぐるぐるお腹の中に渦巻く。

よくわからないけど、いつもの悔しいとは、ちょっと違うみたいな。

 

「そんなに大事なの」

「、え」

 

自分でもびっくりする、怒った声が気まずくて、温かいパンケーキの蒸気を浴びるようにうつむいた。

 

「大事ってなんで」

「だっておかしいもん、チハヤ違うし。隠し事なんてずるい」

 

ちょっと揺れたチハヤの声に言葉がつらつら出ていっちゃったから、自分が何を言ってるのかその意味も理解する間もなかった。

 

でもなんだか物凄く恥ずかしい言葉だった気がして、「クッキー、独り占め!ずるい!私も食べたい!」と変に途切れた言葉を叫んで、苦しくなった肺に空気を入れる。

叫んだ時に全て吐き出してしまったようで、呼吸は荒くていつの間にか肩が動いていた。

 

でもその後にチハヤの言葉が続いてくれなかったから、私の肩が静かになるまでお店の中はしんと沈黙が広がっていた。

 

 

…1つ、だけならいいよ」

 

やっと出たチハヤの言葉は、私の不審な行動を訝しむものじゃなくて、叱られた子供みたいにおずおずとクッキーと一緒に差し出された。

 

「あ、ありがとう」

 

もう別にクッキーなんてどうでもよかったんだけれど、引き下がれなくなった僅かなプライドが、それに手を伸ばさせた。

 

クッキーがどうでもいいなら、私は一体何にムキになってたんだろうなんて、そんなことを考える余裕もなかった。

 

 

可愛い」

 

手にとったそれは触っただけでもしっとりと美味しそうで、星の形をした可愛いくて小さい一口サイズだった。

素人が見たって時間も手も愛もたくさん込めてたくさん注いで作ったんだろうなってわかった。

 

「いただきます。」

 

すっかりさっきまでのことなんて忘れてうっとりとそれを口に入れれば、ほわっとバターの芳醇な深みが広がって、ミルクの優しさが溶けだした。さくっと歯触りのいい音を立てると、隠れていた卵が顔を出して小麦粉と踊った。それでもきちんとみんなまとまっていて。

 

「美味しいい!

「うん僕より先に食べられてよかったね。」

 

いつもの嫌味が出て来たチハヤに、もういっこ!と手を伸ばせば、あっさり払われる。

 

「パンケーキ食べなよね。僕に作らせといて無駄になんかしないよね?

「うーはーい」

 

もう1個どころか全部食べてしまいたかったけど、チハヤの威圧が怖かったからおとなしく 待たせてしまったパンケーキにフォークを入れる。

 

「ね、それ新しいレシピ?

 

もぐもぐと口の中でパンケーキを味わいながら、慣れていなかった味にそう聞けば、チハヤは「違うよ、」と言った。

 

「ヒカリがくれたんだ。」

 

 

がちゃん。

何食わぬ顔でそう言ったチハヤに、なんだか急に力が入らなくなって。

5枚食べても10枚食べても膨れないお腹が、一口しか食べていないパンケーキをきゅうと喉につまらせた。

 

「、マイ?

 

美味しそうなパンケーキが、汚らしく削られて。その面を溶けたアイスが流れていくのを、ただただ見てることしかできなくて。

 

「ご、ごめん、私お腹いっぱいになっちゃったー」

 

へへーと笑って席を立てば、頬の筋肉が使えてないことくらいわかって。

よくわからないけどそこにいちゃいけない気がして自分の部屋に走った。

 

後ろでチハヤが呼び止める声が聞こえたけど、ごめんチハヤわかんない。わかんないよ、なんで胸があついんだろう。

 

 

後ろ手に扉をしめそのままもたれかかれば、心臓が焼けるように痛い。

あー、きっとこれが胸焼けかーなんて

とぼけてみたけどもやもやもやもや

胸の中でぐるぐる渦巻くこの気持ちがなんなのかわからなくて、ずるずるとへたり込むことしかできなかった。

 

「ヒカリちゃん」

 


チハヤが口にした名前を呼べば、ふわりと柔らかい笑顔が頭の中で振り向く。

大好きだったはずのその笑顔が、なぜだか急に悲しくて。立てた膝に顔を埋めた。

 

 

この世で私がまだ知らない味があるのなら、全部全部知りたいと思ってた。

だけど、おなかの中をぐちゃぐちゃに染めていくこんな黒いあじなんて、知らなくてもよかったかもしれないなんて、そんな後悔。

 

 


 

 

クッキーを作ろうと思った
-なんとなく、だけど。-

 
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