僕らは、鏡なんだ。

 

 

 

「にいちゃん…、にいちゃん…!」

 

どおん、どおん。黒くて重い砲弾が、重力を持たないかのようにいくつもいくつも空を飛び、僕らの仲間を破壊する。

空も、陸も、海も、どこもかしこも火薬くさい。

黒い煙と赤い炎。黒くなった仲間から流れ出る赤い液体は、すぐにからからに乾いてしまう。黒く、なる。みんな、みんな黒くなってしまう。

大切な場所も、仲間も、仲間の血液も、心も。

怖い。怖い怖い。

 

「ずい…かく、」

 

こひゅう、額から真っ赤な血を流した兄が、僕の腕の中、僕の名を呼んだ。

初めて見た、今にも閉じてしまいそうな目。初めて聞いた、掠れた声。

それは声などと呼べるようなものではなく、9割が喉から押し出された空気だと言っても過ぎたるものでないような。

 

「にいちゃん!」

 

お願い、にいちゃん、生きて、生きて帰ろう、一緒に、ここを、出よう

焦点の定まらないまま薄く瞬きをする兄にそう呼びかければ、震える左手を僕の頬に添えた。

 

「瑞鶴、なに、してるんだ、零を…守れ、」

 

「やだ、やだよにいちゃん!にいちゃんがいないと、俺、」

 

頬に触れる兄の手を握れば、僕の涙と兄の血でどろどろになったその手は、強く僕の手を握り返す

 

「ばか、俺たちは、帝国軍人…泣いたら、だめだろ、」

 

ほら、といつものように僕の手を打ち出の小槌を振るようにゆすって

 

「しっかりしろ」

 

と笑った。

 

その笑顔にいつもみたいな力強さはなく、痛み故か潰された眉間が、とても苦しかった。

 

「にいちゃん…!にいちゃん、だめだよ、俺、俺、」

 

怪我をした兄なら何回も見た。

小さな掠り傷から大きな骨折まで

いつもいつも兄ばっかり怪我をしていた。

隣で無傷で帰港する僕は、「幸運艦」と呼ばれていた。

 

「俺、にいちゃんがいなきゃ戦えないよ…!」

 

でも、本当はそうじゃなくて。

兄が弱かったわけでも、僕が強かったわけでも、まして幸運だったわけでもない。

本当は、全部全部兄が僕を守ってくれたから。

弱かった僕を庇って、僕に向かう弾丸さえも全て兄が受け止めたから。

だから、だからだったんだ。だから僕がすごいわけじゃない、僕は兄がいないと戦うことはおろか生きていくことすらできない。

 

「そんな弱音、はくんじゃ、ない、」

 

こひゅう、こひゅう。荒い呼吸音が割れた大地に響く。先程より、辛そうになっている気がする。

絶え間なく脈打つように垂れる液体が、僕の胸元に染みを作る。

どくんどくんどくん、速くなった鼓動が耳障りな僕の腕が感じ取る鼓動は、それと相反して徐々に遅く弱くなる。

 

「に、いちゃん…!」

 

だめだよ、いきて、いやだよ、

胸からあふれ出る言葉は、喉に詰まるなにかが邪魔をして出てこない。かわりに何の意味も持たない涙と、嗚咽ばかりが止まらない。

あぁ、どうして、僕の涙に兄ちゃんを治す力がないんだろう、

ないのならなぜ、邪魔をしてまでこの目から溢れるのだろう。

 

「なくな、ずいかく。」

 

掠れた。それでも力強く発されたその声にびくりと意識が揺れ、兄の目を見る。

それは、初めて見た兄の涙だった。

ぼろぼろと流れるそれは、兄はまだ生きているのだ、生きたいのだと感じさせてくれた。

 

「はぁ、頼む、泣くな瑞鶴…!ごめんな、ごめんな!こんなに弱い兄で!」

 

絞り出されるように叫ばれた言葉は、涙を隠そうとする兄の手で覆われた。

ちがう、ちがうよにいちゃん、にいちゃんは弱くなんかないよ、

 

「ごめんな瑞鶴…!さいごまで、お前の事守ってやれなくて…!」

 

にいちゃん、にいちゃんはずっと俺の事守ってくれてたよ、もうこれ以上、にいちゃんに負担かけないから、だから、だから

 

「ごめんな…!」

 

謝らないで、にいちゃんはいなくならないから、お別れみたいなこと言わないで、側にいて、お願いにいちゃん、お願い、

 

するり。ぬるりとした兄の手が絹のように僕の手を滑り落ちた。

僕の手を、僕の手に兄の形のまま穴を残して、すり抜けた。

それが何を意味するのか、知りたくもなかった。

 

「にいちゃん…!」

 

なのにこの腕は兄の重さを、この手は兄の冷たさを感じてしまうから。

涙の流れなくなったそれはいくら呼びかけても開くことも揺れることもなく、僕の好きな声を紡ぐそれはもう僕の名を呼ぶことはない。

 

「にいちゃん…!」

 

やだ、いやだ、やだ、

悲しいとか絶望とか恐怖とか、焦燥とか虚無感とかとにかくいろいろなものが込み上げて、否定することも受け入れることも、何もできず、ただ意味もない生命活動を続けた。

にいちゃん、にいちゃん、

動くことすらできないまま、ただひたすらに何の反応もしない兄に呼びかけ、治癒能力のないそれを流しながら兄の体を揺らす。

 

どおん。近くで、砲弾が爆発した。火薬のにおいが、僕と兄を包む。

 

瑞鶴、大丈夫だ、俺がいるからな。

 

そう笑った兄は、もう二度と見ることはできない。

 

改めて覚えてしまった感情に、耳が熱くなる。

湧き上がってくる実感は、恐怖を連れ立ち僕を襲う。

鼻の奥のじりと焼け焦げるような痛みと、吐き気に近い嗚咽。

 

あぁ、あぁ僕はこの世で一番大切なものを、なくしてしまった。

 

僕が、僕が壊したんだ。

お国よりなにより大切だったひとを、

僕を大切にしてくれたひとを、

僕は壊した。

 

重りのようにのしかかる思いに、大切だった、否今でも大切な

冷たくなったその人を抱きしめて、黒い空に声を張り上げて泣いた。

 

 

鏡なのだ。

僕ら双子は。

映すものがいなくなっては、鏡に生きる理由はない。

また、片方だけが傷つくことも、ゆるされないのだ。

 

 

 

 

涙、水海

-僕らの戦地はいつもみずうみ-

 

、おいていかないで。