「××さん、」


おはようございます。××は可愛い花柄のカップにコーヒーを注ぐ手を止めそう笑顔を向けた。
カップは確か××の趣味だった。



「おはよう、××」


そうやって俺も挨拶を返しながら××の額にキスをした。
その時の俺の声はその当時そんな声だったかと疑うくらい…もちろん覚えていないのだが、柔らかくて
それを表現する言葉が見つからないような声だった。


その時俺がどんな顔をしていたのか、どんな気持ちだったのか、なぜ××と呼ばれる彼女は共に暮らしていたのか、そもそも共に暮らしていたのか偶然その日は共にいたのか、
全く思い出せない。



ただ、その時のことを思い出そうとすれば、いやその時だけじゃなく、短かった筈で長かったようなスパンを、俺の永い記憶の中、なぜだか大きい気がするその部分だけ思い出そうとすれば、言い様のない胸のざわつきを覚える。


不安にも似た、×せにも似た、×情にも似た、×なさにも似た、虚しさ。
言葉にしようとすればノイズがかかる。感情という指先を司る器官が壊れたラジオのように、大きく騒いだり小さく音を消したりする。



「××、」

小さく彼女を呼べば、見慣れた天井がなぜだか×しく色を変えた気がした。

声にならないその名は、どんな呪文だったのだろうか。

記憶が定まらなくなった頃、ありとあらゆる呪文書をひっくり返したが、どこにも答えらしきものは見つからなかった。
どれが答えかなんてわからなかったが、ただ「違う」という事だけはわかった。忘れている呪文も、ただその一つだけだったと。





「××さん、」



にこやかに静かに俺を呼ぶ彼女は、俺をなんと呼んでいたのだろうか。







俺の名はなんだったか。








俺とはなんだったか。








××××、ノイズで消される部分を思い出そうとすればするほど耳に障る雑音が音を増す。
いたい。頭が、割れるほどにいたい。





「××さん、」
「××」



ぐにゃりと歪み怪しく低く音を変える記憶の2人は、それでもなお名を呼び続けるから。
どろり溶けて、混ざる。











あぁ、もしかしたら、彼女と俺は一つだったかもしれない。














消された××
‐辿り着いた面影‐






零れた雫は、何の呪文の結晶だったか。





12.06.05魔ヒカ