※ふたごの村!いろいろ捏造。ラズベリーが偽物。
「あぁ、そやそや聞いた?役場におった あのヴァイオリニスト、今日発つらしいで。」
いつも通りだった。いつも通り 鶏の声で起きて、猫の世話をして、牛と鶏の世話をして、今日の分の酪農品を出荷して、この空いた時間でブルーベル村の女の子達と集まって他愛ない話をしてた。いつも通りだった。いつも通りだったのに。
「あぁ、そやそや聞いた?」
ふと思い出したようにラズベリーが声をあげた。
「えぇ?何?」
続きをうながすようにリアが尋ねた。よくある提示と相づち。
「あんなぁ、役場におった音楽家、おるやん?」
びくん。『役場にいた音楽家』浮かぶのは彼1人。
その言葉に身を硬くしたのは、秘めた恋心のせいか、ふとよぎった嫌な予感のせいか。
「ミハイルさんね。どうしたの?」「あのヴァイオリニスト、今日発つらしいで。もうこの村出ていったとか。」
雷にうたれたような衝撃と、黒。目の前が黒くなった気がした。全身の血の気が引いていくような、そんな感覚。
…うそ、うそ、…なんで。
「?サト?どうかしたんか?」
「顔色悪いわよ?」
のぞきこむ顔も、かけてくれる声も、もう遠くのもののようで、頭に入ってこない。
ぐるぐると「どうして」と疑問が廻る。
彼がいつか都会へ帰るのは分かっていた。分かっていたけど―…
でも、
「!!?サト!!?」「どこいくんやっ!?」
気がついたら私は走りだしていた。呼び止める声なんて聞こえる筈もなくて。
「ミハイルさん……!!」
嫌です嫌ですお別れなんてもう会えないなんて
「行かないで下さい……!!!!!」
お願いです待って下さい
まだ、まだ伝えてない大切なことがあるのに
「好きです…!!!!」
歯を食いしばる届く筈ない叫びは 風にさらわれた。
山に囲まれたこの村はバス停まで舗装された山道を2km登らなければならない。
バスは年に2回。もうこれを逃せば…間に合わなければ、もう会えない。
息を切らし走り続けているのに、変わらない景色。ぺたりと額にはりついた前髪を横に流せば、たらりと汗が耳を伝った。
足が重い…痛い。呼吸が苦しい。常に心臓を圧迫されてるような、そんな息苦しさ。
…もう間に合わないかもしれない。目をこすると指が濡れた。
「!!あっ…」
目の前の景色が縦に流れ、黒く染まる。
もたついた足が引っ掛かり、転倒してしまった。
「……痛い…」
じわりじわり、やけるような痛みにひざを見れば、派手にすりむいていた。
靴に違和感を覚えて見れば、ぼろぼろにすり減ったソーサーがはがれていた。
「……っ…なに…してんだろ」
惨めだ。すごく。たとえ辿り着いたとしても、この恋が叶うわけでもないのに。
コンクリートにうつる影がじわりと滲んだ。ついた手のざらりとした感触も、足も、ひざも、心も、全部全部痛い。
嫌だ嫌だ。もうダメなんだきっと。あきらめろって神様が言ってるんだ。
「サト?」
咽ぶ私の耳に彼の声が聞こえた。弾けるように顔を上げれば
「………幻聴…。」
誰もいなかった。
あきらめの悪い自分に嘲笑いがもれた。
…でも…温かい声だった。
本物みたいだった。彼もあんな温かくて優しい、落ち着いた声だった。ふわりとした笑顔で、眼鏡の奥の瞳はいつだって穏やかだった。
「今日は声のトーンが低いね、疲れているのかい?」とか、「君を応援したいと思ったら曲が出来たよ」とか いつも気遣ってくれた。些細な変化に気付いてくれた。
彼を取り巻く音楽はいつだって美しかった。
側にいると落ち着いた。楽しかった。もっともっと近づきたいと、ずっと一緒にいたいと思った。
…そうだ、私は彼が大好きだから…
「行かなきゃ…」
顔を上げて、私は立ち上がった。使い物にならなくなった靴は脱いで。彼のところに走らなきゃ。
必死に走り続けた私の目に小さく、止まるバスが映った。
間に合う…!!あれに…あれにミハイルさんが…!!
「まって!!まって下さい!!お願いっ!!」
叫んだ声は虚しく、あっけなくバスは黒いガスを吐いて、発車してしまった。
――間に合わなかった。
へたりと座り込んだ私を襲ったのは、絶望感。
間に合わなかったんだ…。彼は行ってしまったんだ。もう会えないんだ…
この想いは、伝えることすら叶わなかったんだ…。
あぁ…こんなことなら、怖れずに伝えておけばよかった。
自分から行動を起こしておけばよかったんだ。
ふせた目を、静かに閉じた。
ラプソディー・イン・ブルー
涙と一緒に溢れだした後悔にうつむいていた私の目に、見慣れた靴をはいた足がうつりこんだ。
「サト?何してるの?気になって降りちゃったよ。」
「ミッ…ミハイルさん!!?」
‐のばされたのは、待ち望んだ彼の手‐
22.09