かなり史実的にも捏造しています。完全なるフィクションであり妄想です。実在した九四式軽装甲車とは別のものとして考えていただければ幸いです()
ケイのモデルは深夜隊の兄者です。
私が乗っていた豆戦車は、九四式軽装甲車という毒車でした。
私は彼―九四式軽装甲車―を、ケイと呼んでいました。
2人乗りの狭い空間に入り込めば、汗と土と血の匂いが蔓延するとても居心地が良いとは言えぬ車でした。
それでも私は、そんな彼を気に入っていました。
外と中を隔てる金属は、幾度となく私を弾丸から守ってくれました。
激しい銃声と軽くなった同胞がそこら中に転がる世界に比べれば、ただただ機械的に機械を動かす事は私にとって寧ろ安らぎのようにすら感じられました。
幾多の境地を共にし、幾多の日々を共に過ごした彼は、もはや私のともと言える存在になっていたのです。
そんなある日、私は彼の声を聞きました。
「あーあ、下らないね。」
1025人。私の操縦によって倒れた人がその数に達した時でした。
「何がだい…?」
不思議とすんなりその声を受け入れてしまった私は、彼に問い返しました。
「戦争ってやつがだよ」
1026、1027、あぁ、また倒れていく。
「そうか…。そうかな、」
かちかちかち。血液で錆びかけた操縦機を動かしながら聞けば、すぐに返ってくる答え。
その声は本当に下らないと思っているような声ではなく、まるで私達を嗤うような声でした。
「あぁ、オレにしてみれば獅子も猿もおんなじだぜ」
せん、さんじゅうにん。おめでとうございます。あなたたちはおくにのためにちったえいゆうです。
「猿…か…」
彼の言葉を反復すれば、顔の筋肉に一切力が入っていなかったと気付きました。
「あれ?違ったか?」
いや、間違ってなんかいない。
私たちは猿だ。
しかしな、ケイ、猿は賢いんだ。
「おぉ、やったなお前。制圧完了だぜ。」
楽しそうに言った彼の声は、しかしやっぱり、どこか皮肉めいていました。
それから毎日、私は彼と話をしました。
彼はどうやら狂っているらしき言動…もとい発言が多く、廃れたような性根をしているらしかったです。
いや、もしかしたら彼はとても良い子だった筈で、狂わせたのは他でもない私なのかもしれないのですが。
「ケイ、次は天津だそうだ」
「どこに行こうとおんなじだろ。お前は人を殺すんだ。」
いや、オレに殺させるんだ。そう嗤った彼を怒る気には、何故だか全くなれませんでした。
今、思えば、彼の声は私の心の声だったのかもしれません。
それでも、私は彼で、彼は私である事には変わりがないのです。
そんな、ある日の事です。
「井上隊、難攻!!」
「援軍を頼む!頼む急いでくれ!」
「待ち伏せされていた!!」
ケイを他の者に預け、基地で仮眠に入っていた私の耳を、そんな無線が突き破りました。
いのうえ。
その名前に手足から血の気が引くのがわかりました。
いのうえ、イノウエ、井上、
どう考えても当てはまる者は1人しかいないその名前のその人こそ、私がケイを預けた人物でした。
「ケイ…!」
無線に飛び付いた私の耳に、非情な程にけたたましくも鈍く、考えられない威力を持っているのであろう砲弾の音が聞こえました。それは数えきれないほど多く、数えようとも息もつかず続くそれはどこまでが一つの音なのかわからないほどでした。耳をつんざく低音に、届くはずのない火薬のにおいが嗅覚を刺激するのを感じました。
「聞こえるか…!こちら犬塚隊!今から応援に向かう!」
冷たい鉄の無線を、どくどくとそれに響く自分の脈ごと握りしめてそう叫びましたが、ただざああと視界いっぱいに砂を広げたような音しか聞こえず、助けてくれと叫んだ仲間の声はもう聞こえてきませんでした。
「おい!聞こえるか!応答しろ!今から応援に向かう!それまで持ちこたえろ!」
鉄の塊にそう続けて叫んでみても、未だに引きずるようになり続ける砲弾の音しか聞こえず、果たして私の声が届いているのかさえわかりませんでした。
「応答しろ…!ケイ!ケイ答えろ!」
叱るように叫んだ私の声は、祈るように、すがるように響きました。
しかしそこから彼の皮肉めいた声は聞こえず、いくら願っても途切れるような雑音と火薬くさい砲弾の音しかしませんでした。
あまりに強く握りしめたために食い込んだ鉄をその場に打ち付けるように投げ捨て、私は予備の豆車に乗り込みました。
そこから先のことは、よく憶えていません。
ただ、再び自分の2本の足で体重を支えたときには、目の前に敵はおらず、ただ焦げくさい臭いと、黒く変色した木や金属や人型のなにかが転がっているだけでした。
私は足が動くままにある一つの塊の前に立ちました。
もう煙さえあがっていないそれは、巨大な人間に踏まれたのだろうかと思うようにぺしゃんこに潰れ、黒くちぎれた体の一部から、見覚えのある色がのぞいていました。
「ケイ」
私はなんだかわからない見たことのないその塊に向かってそう呼びかけました。
ケイ、ケイ。あぁ、私は何を言っているのだろう、こんな物がケイであるはずがないのに。ケイは、小さくとも凛々しく、弱くとも強い体を持ち、冷たくもどこか温かいものを持っていたのだ。
そうだ、彼は生きていたのだ。こんな真っ黒で歪で鼓動の感じられないものが、なぜケイだというのだ。面影ひとつ残っていないじゃないか。
「ケイ」
そう、思っていたのに、
砂ぼこりの舞う茶色く薄ぼやける視界の中で響く私の声はそれをケイと呼び、付いていることすら忘れていた腕が、静かに上がりました。
なぜだかどうしようもなく震えているそれが黒い塊に触れたとき、ぐわあと胸を掻き上げるような冷たい感覚が心臓に走りました。
ざりとしたそれに吸いついたように離れない腕に、がんがんがんと思考が激しくぶつかり合い、頭を揺さぶりました。
「けい」
これは、ケイだ。
認めたくなかった直感が、握りつぶすように心を掴み打ち付けました。
かすかに残る温もりが、ケイの魂の香りと共に腕から流れ込み、それを否定させてくれませんでした。
「ケイ、ケイ、あぁ、ケイ…」
喉仏が鉛のように重くなり、ぐんと落ちるのを感じ
両手をついて抱きしめるように縋りついた体からは力が抜け、
がたがたと不安定な棒のように支えのなくなった足はがくんと折れました。
吐き気にも似た胸のつかえは、黒く固く大きい塊で喉を押し上げてきますし、せり上げるように込み上げる感情は、なんと例えたらいいのかもわからず、ただ私は喉から血がでる程に叫び泣くことしかできませんでした。
あれから60年の月日がたち、私も今では老いぼれです。
先の短いこの生に、今でもケイを思い出すことがよくあります。
そして、なぜケイは私に語りかけたのか、なぜケイは生まれたのか、ケイは何を思い何を伝えたかったのか、
深く考えるようになりました。
暇を持て余すというのは恐ろしいことです。考えても考えてもどこにも行きつかず、それどころか果てしなく無数に広がる難題を考え込んでしまうのですから。
この萎んだ私の脳でそんな高尚な哲学や心理などはわからないものですが、それでも最近よくそれについて思うことがあるのです。
もちろん、ただの勘ですし、老いぼれの戯言です。ですが椅子に座れば床に就けば頭に浮かんできてしまう謎に、一番しっくりくるのではないかと思うのが、この答なのです。
どうか、老いぼれの言うことだと、笑って流してくださいな。
ケイは、それはそれは酷い目にあいました
貨物車としてうまれたはずがいつのまにやら前線に追いやられ戦に巻き込まれてしまったのですから、あの捻くれた性格はやけに笑ってしまうほどに納得がいくのです。
ええ、それは意思を持っても不思議じゃないでしょう。
けれどしかし、あの狂気に満ちた性格は、人間への恨みから生まれたわけではないと思うのです。
きっと彼は、儚く哀しい人間という生き物を愛していたのです。
愛する事は狂う事だと聞きました。
人間を愛するがゆえに狂気じみた性格を作り出してしまったのではないかと、私は思います。
そしてなぜ私に語りかけてきてくれたかというのも…えぇと…これは少しばかり恥ずかしいものがあるのですが、
あぁ、どうか独り言だとでも思っていただけないでしょうか。
私と彼は、似ていたのです。
人間を愛し、戦など愚かな道に走り人を傷つけ憎み合い倒れゆく そんな人間を恨み、悲しみ、どこかに心を置き去りにする。
そんな私に同調した彼が、私のもとへ降りてきてくれたのではないでしょうか。
そして、こんな哀しいことはどうか終わりにしてほしいと、そう伝えたかったのではないでしょうか。
きっと彼は私に本当の気持ちに気づいてもらいたかったのでしょう。
あぁ、お恥ずかしいですね。どうか今の話は忘れてくださいね。
とはいえ、すっかり忘れ去られてしまうのもどこか寂しい気がいたしますね。
あぁ、なんだか私も眠たくなってきました。
最近とても眠くて眠くて…やはり歳でしょうかね
すみません、では少し眠らせていただきますよ。
それでは。
ケイ、猿は頭が良いものだと、私は言ったな。
私はそれを願うように信じているよ。
もう二度と、こんな愚かで悲しいことを起こさずに生きていける賢いままの猿でいてくれることを。
戦車に咲いた花
ケイ、お前も花の一つでも愛でてみたらどうだ
あぁ、今このかわいらしいコスモスを摘んで会いに行ってやろう。
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