パートとしてはまとまっていたから問題がないことを告げて、

自主練をしようと空き教室を探している時だった。
オレンジに染まった教室に独り立っている、とっくに帰ったはずの人物を見かけ思わず扉を開け声をかけた。

 

 

「音羽、なにしてるんだ。」

「…奏馬。」

 

気のせいか俺を見つけて口角を上げたように見えたそいつに「塾じゃなかったのか」と問えば、サボった。とさらりと答えられた。

 

1日程度の遅れは遅れにはならない。」

 

真っ直ぐ俺の目を見返して何でもないようにそう言うそいつは、ああきっとそうなんだろうなあと思わせる。

こいつなら何だってできる気がする。

こいつなら何だって人よりも優れている気がする。

それは気がするだけじゃなくて実際そうなのだけれど

そのせいでこいつが感じていた事なんてつい数日前までは考えようともしなかったんだ。

 

「…そんなことよりも、話がある。」

 

突然の言葉に一瞬思考が止まり、少し遅れて「話…誰に?」と聞けば呆れたように「お前に決まってるだろ」と言われた。

 

「お前が…俺に?」

「ああ。」

 

返された言葉が信じられなくてもう一度確認するように自身を指差すとあっさりと肯定された。

音羽が俺に?一体何の用で…

当然浮かんでくる疑問に眉を寄せると、音羽は机の上に置かれた見慣れた黒い楽器ケースから愛器を取り出した。

 

「セッションしよう。」

「はあ?!」

 

急な展開に素っ頓狂な声を上げると、音羽はふっと笑った。

哀しく諦めたような笑みではなく、いつもの強気なあの顔で。

 

「いいから。さっさと構えろ。」

 

本当に強引な奴だな…と笑って

右手に持っていた自分の愛器の調子を整えた。

 

「それで、何の曲をやろうか。」

「それはもう決めてある。」

 

譜面台を前に引き寄せながら聞いたそれに間も置かずに答えたそいつに視線を跳ね上げれば、じっとこちらを見ていた。

 

「トランペット吹きの休日だ。」

 

 

 

 

 

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ああ、ここの旋律好きだなあ、なんて思いながら一緒に吹いているそいつを見れば、いつから見ていたのか目があった。

驚いて視線を動かせずにいると暫くしてすっと逸らされた。

正面に立っているような、隣に立っているような、微妙な立ち位置が不思議と心地良い。

あ、今の部分の主旋抜けたなあと笑って、ほらやっぱり3本ないとダメだろ、と「1本くらいなくても大丈夫だ。」と豪語したそいつを見やる。

視線に気づいたのかまたそいつと目が合って

今度はお互いにっと笑った。


 

不思議な感覚だった。

けれど本当に心地良い。

この湧き上がる高揚感含めて、ああ「セッション」だなあと思った。


 

こいつと2人きりでのセッションなんてこの長い部活生活の中でもこれが2回目だった。

1回目はこの部活に入りたての頃。まだ、自分の実力も、こいつの実力もわかっていなかった頃。

その1回っきり、一度も合わせようと思ったことはない。

俺が“逃げ”て、音羽が“諦めた”からだ。

 


客観的に耳に入る音が主旋律を高らかにうたいだしたところではっと意識が覚める。

ああ、音羽が主旋か、と思い目尻を下げた。

こいつの音は本当にかっこいい。惚れ惚れするほどに強い。

 


数日前までは畏怖でしかなかったそれは今では誇らしい気持ちと、こいつが同じパートで良かったという喜びに変わっていた。

 

次は俺が主旋だ、邪魔するなよ。と口角を上げると、音羽は一瞬驚いたように目を開いて、にっと笑った。

もう負けない、もう卑下しない。もう、遠慮したりしない。

 

(アンタもスゲェもん持ってんじゃないんスか!?)

誰かが言ってくれた言葉と、神峰くんが言ってくれた言葉が頭に響く。

そうだ、どこにいったって秀才扱いされるこいつに

本当は構ってほしくて仕方ない暴君なこいつに

同学年で仲間として同じ楽器を吹く俺くらい、対等でいてやらなきゃいけないんだ。

 


俺の音に音羽の音が重なる。

セッションだ。

そう思った。

 


音羽の音も俺の音もいつもより軽快だったのは気のせいなんかじゃない。

 


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「いやー全力で吹くと疲れるな」

 

力なく椅子に崩れれば、変わらず凛と立っている音羽も肩で息をしていた。

目を合わせればお互い笑っていて、どちらともなく手を出しハイタッチした。

 

かと思えば音羽はそそくさと楽器を片付け、鞄を肩にかけていた。

早いな…一体なんだったんだろう…そういえば用事って…

そんなことを考えながら教室の扉へ向かう背を眺めていたが、扉が開かれた時にはっと気づいた。

 

俺に話があるって言ってなかったか?

 

「おい音―…」

「奏馬。」

 

俺の呼びかけと同じタイミングで放たれた言葉は、背中越しのくせに俺のそれよりも強くて

ぐっと続きを待った。

 

「―…すまなかった。これから…よろしく頼む。」

 

 

間。

数秒の間を置いて、面食らっている俺からそいつは去って行った。

 

そしてただ俺は、廊下に響く足音を追いかける気にならないほど笑って笑って、少しだけ泣いた。

 

わずかに向けられた顔は、横顔とすら呼べなかったけれど

紡がれた言葉ははっきり届いたし、

耳まで赤くなっていたことだって良くわかったから。

 

 

 

 

部長と暴君

-ある日の小さな和解と大きな一歩-

 




お互い人間なんだもんな、とそれぞれが笑っていたことは誰もしらない。


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