砂時計はいつだって下にしか流れない。

 

 

 

壁も床も天井も白いこの廊下で、病室の戸を背にただ呆然と立つ。

先程私に話し掛けた彼は何と言ったか。

医者である彼は、眼鏡の奥の哀しい瞳で、私に何を告げたか。

 

 

残念だが、ヒカリくんは助からない―…

 

 

彼女を蝕む病魔が、侵攻を止めなくて。

あと数ヶ月しか、彼女は生きられないと

彼はそう告げた。

 

 

通り過ぎる時、看護婦が悲しそうな顔をして私を見た。

 

 

何が、悲しいのだろうか

 

 

 

彼女が死ぬから?

彼女はまだ生きているのに。

私が彼女の恋人だから?

 

恋人らしいことなど、まだ何もしてあげられてないのに。

 

なのになのに。

 

 

彼女は、いなくなるというのだろうか

 

 

この、私をのこして。

 

 

 

、そんなの、信じられないと思っていた私の耳に、激しい物音。重量のある金属特有の、耳障りな音。

 

 

ヒカリさん!!!!

背中の扉に飛び込んだ私は、

床に倒れこみ腕で上体を起こそうとする、彼女を見た。

 

 

オ、さんっ……

絶え絶えな息で呼ばれた名前に駆け寄り、そのすっかり痩せこけた小さな体を支える。

 

 

「なにをしてるんですか…!安静にしてください!

 

彼女をベッドに座らせて、倒れた点滴を起こす。

ひらり。花瓶のコスモスが、散る。

 

 

「タオさんタオさん私は

 

完全に俯いた彼女はベッドの中に戻ろうとせず、

ただ何かを拒絶するように首をふる。

 

そんな弱々しい声に続きを促すと

 

強く弱く悲しい言葉

 

 

「私は枯れないコスモスになりたいです」

 

 

……枯れないコスモス?」

どういう意味なのか、

どういう心境で語るのか、

彼女は今どんな顔をしているのか

 

静かに聞き返すと

 

 

緩やかに、崩れる。

 

 

「枯れたくないんです…!

 

縋るようにしがみついてきた彼女に、咄嗟に動けない自分が悔しかった。

 

「あなたの中でいつまでも咲き続けて…!あぁやっぱりこの花が一番だなと、一番綺麗だと、思って欲しいんです!

 

「ヒカ……

 

「わがままだけど縛り付けてしまうけど!!!!やっぱり嫌なんです!あなたが他の花を愛してしまうのが…!

 

 

擦れて出た意味のない言葉も遮って、

彼女は切実で苦しい想いを泣き叫んだ。

 

 

それでもまだ何もできない私に

最後のひとひらが舞いこぼれる。

 

「私を忘れてしまうのが

 

 

私の胸に顔を押しつけて泣く彼女の弱々しい言葉は、私を射ぬいて揺さぶる。

 

 

 

……ヒカリさん。」

 

ぽつり。落とした言葉は無花果色に乗せる掌に搭せて。

 

 

あぁ、顔をあげなくていいから、

聞いてください。

 

 

 

「あなたが枯れることなど、私の中でいえ世界であると思いますか?」

 

 

 

 

砂時計はいつだって下にしか流れない。

流れる場所は逆になるのに、

どうやっても上に上ってはくれないんだ。

 

 

 

そんなことは、有り得ないのです。」

 

枯れないコスモス

花である限り、彼女には適わない

 

 

 

あの日心に蒔いた種

巻き戻らない、時間。

 

22.10