まるで、たまごの赤ん坊だ。

 

 

昔、たまごにも「赤ん坊」はあると思っていた。

それはとても小さくて、とても肉眼では見えないけれど

どこにでも転がっている。

ふとした拍子に成長をはじめ、知らぬ間にどんどん、どんどん大きくなっていくんだ。

気が付いた時にはもう既に見慣れた「たまご」になっていて。

俺たちは初めてそれを「たまご」だと認識するんだ。

 

そんなありそうでありえない話を俺は信じ込んでいたんだ。

たまごの赤ん坊を探すように草の根をわけたりして

だから俺にとって「たまごの赤ん坊」は、「幼い頃の夢物語」をさすと同時に「ありえないこと」も、意味する。

 

 

 

 

 

「ほんと、ありえないのよ」

 

にぎやかな人の声が分厚い扉を隔てていてもよく聞こえる控室に、魔女の声が響いた。

豪華な椅子にどっかと座った魔女は、着飾ったその衣装にそぐわない不満げな表情で足と腕を組んで柔らかな背もたれに寄りかかっていた。けれどそんな態度も言葉も、照れ隠しであることなんてここにいる全員は、―特に彼は―よくわかっていた。

 

「あーほんと、ほんとありえないわ、どうかしてるのよ」

「ちょっと…うるさい…」

 

先ほどから何度も何度も騒ぐそれがおよそ20回目に達しようとしたので、さすがに限界だと思った。…俺が。

なるべく遠くにと思って立っていた壁際から小さく注意すると、予想通り火の粉はこちらに飛んできた。

がみがみぶつぶつと全く関係のない文句まで飛ばしてくるそれを片耳で受け流し、「だからあまり関わりたくなかったんだ」と思った。「君が注意するべきだっただろ、」と本来その役回りも務める筈の彼にちらりと視線を送っても、くすくすといつものように瓢として笑うだけだった。

そもそもなぜ俺はこの控室にいるのだろう。というかまずなぜこの会場に、この輪の中に参加しているのだろう。慣れないこの「ネクタイ」とかいうものを少し持て余しながら考えた。

魔女からの招待状なんて、見なかったふりして断ってしまえばよかったんだ。

ふう、と一つ溜め息をつき、自分の感情もよくわからないものだな、なんて思いが浮かんだ時に、すっと右端の視界に湯気ののぼる白いコップが入ってきた。

 

「、え」

「あ、すみません、よろしかったらこれ」

 

たどたどしく持ち上げられたそれの隣に並ぶ顔と、やわらかな声に一瞬構えた身からふっと力が抜けた。

 

「…ヒカリ」

「あの、こういう場面ですしシャンパンとかの方がいいかな、とも思ったんですが、やっぱり魔法使いさんはコーヒーかななんて」

 

こちらが何も言っていないのに言い訳のような説明をして、にへ、と笑った後不安そうに「すみません」と続けた。

こういう時もすごいなと思うのは、彼女の口元は常に微笑みに似た形があって、どんな表情でもどこか安心感を与えるところだと思う。

 

「いや、ありがとう」

 

そう言って受け取ると、不安そうに傾げられた顔からはぱっと花が咲くように満面の笑みが飛びだした。

ああ、こういう時に俺ももっと気が利いたことが言えればな、と思った。

 



「さあ皆、準備は出来た!お待ちかねの式が始まるのだよ!定位置について!」

 


分厚い扉が開かれて、阻まれていた人々の話し声ときりっとした服に身を包んだ町長が飛び込んできた。

「始まるのか、」なんて柄にもなく感慨にふけったことを考えたりして。

 


魔女と彼以外の、「客」となる人たちは思い思いのことを話しながら席へと向かい先に扉を発った。その扉を出る際、魔女や彼は一言ずつ言葉をもらうたびに笑ったり、涙ぐんだり、怒るふりを見せたりと忙しかった。

その人たちの列の一番後ろに俺は並んだ。ヒカリが「お先にどうぞ」と手を出したが、それを逆に「いいよ、」と後ろに回った。

前の人たちの挨拶も終わり、次々扉を出ていきついにヒカリの番になると、急に魔女と彼はヒカリを引き寄せ、耳元でなにか囁いていた。いそいで体を離したヒカリの顔は後ろから見てもわかるほどに耳まで真っ赤で、なにを言われたのだろうかと気になった。

 

ついに最後、俺の番になった。しまった、何も言うことを考えてなかった。何を言おうか。と考えていると、それを遮るように魔女が「次はあんただから。頑張んなさいよ!」

と言った。

「、え、」

何、と顔を向けた時にはもう既に背中を蹴られていて、俺はよろけるように扉を出てしまっていた。

 


(次…は、扉を出る順番にしても、頑張るって…何…。)不可思議な言葉に怪訝な顔で振り返ると、不敵な笑みで魔女は笑っていた。

 


「…なんか、悔しい…。」

 


魔女の真意も意図もわからず、なんだか一枚上をいかれたような気がしてふてぶてと背中をはらっていると、ふと目線をずらした先でヒカリと目があった。

瞬間、かっと開かれて頬を真っ赤に染めた彼女も、なにがなんだかわからず思わず目を逸らしてしまった。けれど、先程の魔女のものとは違いなぜだか嫌な気分ではなく、不思議な動悸に襲われた。

 

魔女と彼が登場し、教会の祭壇の前に立つと、一際大きな歓声が上がった。

真っ白なウエディングドレスを着た魔女の姿は、先程はそうも思わなかったけれどまんざらでもなく、「馬子にも衣装」と小さく呟いた。きっと、聞かれていたら殺される。

 


式は順調に進み、ブーケを投げる段取りまで進んだ。

我こそと待ち構える女子たちの輪の後ろで、ぽつんとヒカリは外れて立っていた。

なんとなくその隣に俺も立ち、「いいの?前じゃなくて」となんとはなしに聞いた。

するとヒカリも最初は驚いたようだったが、「いいんです。欲しいですけど、あの中に入る勇気がなくて」と少し控えめに笑った。他の人がとって幸せになってくだされば、それでいいですし。と言った彼女に、彼女の何を知っているわけでもないけれど、「ああ、彼女らしいな。」と思った。

 


「行くわよー!この魔女様のブーケなんだから絶対落とすんじゃないわよ!ありがたく受け取りなさい!!」

 


と、少しはしおらしく見えていた魔女の姿もすっかり普段通りのものとなり、到底ブーケを投げる花嫁の言葉ではない言葉を投げ、一層盛り上がった女子たちの輪に背を向けた。そして「せーの!」と可愛らしく縁起のいい花が綺麗に納まる花束を宙へと羽ばたかせた。

 

わあっと声を上げ手を伸ばす彼女たちの上を軽々と飛び越え、考えられないほど大きな弧を描いたそれは、ぽすん、と軽い音を立て、俺の腕の中に落ちた。

 

一瞬しんとなった会場がどっと笑いに包まれ、さすがの神も予想しなかったであろう展開に頭が混線した。

(な、ど、え、)言葉にならない単語ばかりが頭に浮かび、とりあえず事態を飲み込もうとした俺の視界に驚いた顔のヒカリが映った。

俺は彼女がブーケを欲しいと言っていたことと、ブーケは女性がとるものだという先程得たばかりの2つの知識がわっと浮かび、咄嗟に「これだ!」と思いついた。

 


「ヒカリ、」

 


叫ぶように名前を呼び、押しつけるようにブーケを差し出すと、同じように状況が飲み込めていない彼女は目の前にあるブーケを見つめ固まった。

それからみるみるうちに赤く染めあがる彼女の顔に、ようやく俺も自分の行動に気が付いた。

 

「え…」

「、あ、えっと、…これは、その」

 

まるで言い訳のようにうまく言葉が出てこない俺に、自分はどうしてしまったのかと考える隙も与えないように魔女の声が会場に響いた。

 

「ははーん、お次は魔法使いサマってわけね。」

 

こんなところでプロポーズなんて、やるわね。と笑ったその言葉に、会場中からまばらに拍手が起こり、すぐにそれは大きな一つのものになって俺と彼女を包んだ。

 

「え、えっと、魔法使いさん…?」

「ち、違うんだ、これは、その」

 



 

きっと睨んだ先の魔女の顔は不敵な笑みを浮かべていて、自分でも顔が赤くなっているのがわかった。

それでも、赤くなっているのは動揺と恥ずかしさと怒りからだと、それだけだと自分に言い聞かせたりして。

 

 



 

 

 

 

 

 

まるで、たまごの赤ん坊だ。

 

 

それはとても小さくて、とても肉眼では見えないけれど

どこにでも転がっている。

ふとした拍子に成長をはじめ、知らぬ間にどんどん、どんどん大きくなっていくんだ。

気が付いた時にはもう既に見慣れた「たまご」になっていて。

俺たちは初めてそれを「たまご」だと認識するんだ。

 

俺にとっては、ありえないことだったんだ。

そう、まるでこんな感情のように。

 

 





 

「ヒ、ヒカリ、とりあえず外に行こう」

「え、魔法使いさん!?」

 

 


ぐいと俺に手を引かれる彼女に、なぜだか否定ができないことが

どういう意味なのかも自分が一番よく知っていた。

 

 

 

 

いざ、たまごが孵るとき

-温めなければ気づかない-

 

 

(魔法使いさん、どこまで行くんですかー!?)

(あの魔女…まさか、あのブーケ…!)

(まったく、世話がやけるのよね〜)

 

 

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