かちかちこちこち針の音
単一でありながらどこか温かいその響きは
時に鼓動と交じり合う
「魔法使いさん、ケーキ食べませんか」
細かい活字の羅列から目を上げれば、穏やかな午後の空間に音を落とした彼女がにこりとほほえんだ。
そろそろ、と彼女が指し示した時計の針は、3時、俗にいうおやつの時間だった。
ケーキ、その単語で今浮かぶものは、彼女が今日作ってきてくれたパウンドケーキしかない。すぐに繋がった記憶に微笑み、「うん、そうしようか」と言えば、嬉しそうに彼女はそれを取り出した。
「今日はなかなかうまくいったんですよ」
ぱみりぱみりとフィルムのラッピングを解きながら楽しそうにそう話す。彼女のそんな仕草にもらい笑いをしながら相づちを打つ。
「紅茶…、淹れてくる…」
ぱたと本を閉じてそう告げた俺の声は、自分でも驚くくらい優しくて明るいトーンだった。
「いただきます」
2人で合掌すれば、自然と声が重なった。そんな小さな事でかちんと響いた時計の音も気にしなければ気づかないくらい、顔を合わせて笑った。
「…おいしい」
「良かったです!」
フォークでふわりと掬い上げ口に運ぶそれを不安そうに見つめる彼女に言うわけでもなく
思わずそう呟けば、ぱあと顔を明らめた彼女は安心したように息をつきながらそう言った。
やっぱり、彼女が作ったものはすべておいしい。彼女が目の前にいるのなら、それは尚更。
「そういえば、小さい頃は3時が大好きでした」
昔を思い出したような目でそう告げた彼女に、懐かしい記憶が急に、それでいてふわりと舞い降りるように現れた。
「…俺も、好き…だったな」
最初に覚えたのは3時だった。3時になれば母が手作りのおやつを出してくれた。
もう記憶にないと思っていた母の欠片を、こんなところで見つけた懐かしさに、じんわり胸が温かく染みる。
「えっ!魔法使いさんもですか!?」
なんだか意外です!と言った彼女に、あぁ、やっぱり彼女はすごいな、なんて。
「…ヒカリ、は、今何時が好き?」
かちり。長い針が数字盤の2にはまる。
「私は…そうですね、12時が好きです」
少し考える仕草を見せた後、ふわっと笑って答えた。
「12時…お昼?」
まさか深夜ではないだろうと12時と言って当てはまるものを口にすれば、慌てたように真っ赤になって彼女はそれを否定した。
「ち、違いますよ!そういうことじゃなくて…、」
「…?」
気の毒なくらい真っ赤になってしまった彼女にちょっと申し訳ないことをしたなと思いつつ、お昼でなければなんなのだろうかと思考を巡らせる。
「12時って、長い針と短い針が数字の上でぴったり一緒になる唯一の時間なんですよ」
、まさか。と思った。そんなこと、全然気づかなかった。
時計に目をやれば、確かに、3時15分は、短針も長針も3にあるかと思いきや、短い針が微妙に先に行っていた。
…本当だ。確かに、そうかもしれない。
「…ほんと…だ。」
12時でしか、短針と長針は数字の上で重なれない。そんな真実に、今まで見ていた時計が今までのようには見られなくなりそうだった。
「ね、いいですよね!12時!」
カップを片手にそう笑う彼女に、普通そんなこと考えられないよ、と苦笑する。
「魔法使いさんは何時が好きですか?」
「、…そうだな…」
わかってはいたけれど急に振られた質問に少し間を開ける。
漠然と。ただはっきりとその答えを出したことも、出そうとしたこともなかったけれど、きっとそう聞かれたらこう答えるだろうという考えならあった。
「2時…半かな」
いつもの飲み物よりも優しい色をしたそれを口に運びながらそう答えると、不思議そうに彼女は目を瞬かせた。苺色と肌色が躍る。
「2時…半ですか?どうしてですか?」
首を傾げながらカップを置いた彼女に、意図せずにやりと笑ってしまう。
「だって、ほら。」
かちかちこちこち針の音
単一でありながらどこか温かいその響きは
時に鼓動と交じり合う
2人が時計の針になるなら、きっとこの時間をさすのだろう
かちかちちくちくとくとく
ほら、秒針が鼓動をさし始めた。
何でもないように言った俺の言葉は、カップをひっくり返した彼女を、また真っ赤にさせてしまった。
人生とは時計のようなものなり
-ほら、幸せの時間-
君が来る時間。
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