台所に揺れる、彼の後ろ姿。
トントントンと、リズム良くまな板が歌う。
それは何故だかとても心地のよいBGMのようで
ステンレスシンクの上、竹かごに置かれた、今日彼の元へ持ってきたほうれん草の束
透き通るような緑と、葉の上にできた、光を蓄えた小さな水溜まり。
きらきらきらと輝いていて、
自分でも、あぁよく出来たなと思う。
ぼぅとしたまま眺めていると、
今まで切っていたトマトをどかした彼の手が、それをつかんだ。
ぱたりぱたり。水溜まりが零れる。
「、あ」
無意識に、声が零れた。
「なに?」
柔らかい、栗色のくせ毛が揺れて無機質な声と藤色の目が凛と私を射ぬいた
「あっ、いえ、…」
間抜けに眺めていた無意識なだけに、どうしようもなく恥ずかしくなってしまって、なんでもないですと答えた声は尻すぼみしてしまった。
「…ふーん…」
特に興味もないようにそう呟いた後、彼は再びほうれん草に顔を向け、それを切り始めた。
きっと、「普通の女の子」は、彼に睨まれたら涙ぐんで怯えるんだと思う。そしてそれでも、「かっこよかった」と惚けるんだろう。
でも私は、知っているから。
彼が人を睨むのは人を傷つけたくないからってことも、彼の目の奥に揺れる哀しい藍も。
他人に関わられるのが嫌いな人だと思ってた。料理しか見えてない人なんだと思ってた。
怖かった。最初は。
でも野菜たちを納品するうちに、彼の少しだけ滲みだした優しさに気付いた。
ぽつりぽつり交わしてくれた言葉も、だんだん柔らかくなってきて。
なんの気紛れか、夢を語ってくれた事があった。
『僕の夢は料理で人を幸せにする事なんだ。』
そう言った彼の目は、とても穏やかで、まっすぐで綺麗だった。
ただほんの少しだけ哀しかった。
あぁ、きっと彼はもう挫折も孤独も味わったんだろうと思った。
1人、この島に渡ってきて
ユバさんに弟子入りするため、頭をついて頼み込んだなんて、今なら想像できるかもしれないけど
彼は、1人どんな気分だったんだろう。何を思って、何を考えて、暗い夜を過ごしてきたんだろう
なんだかそんな事を考えると、あぁ、彼も人間なんだ…。と思った。
急に、「チハヤ」という人間に近づいた気がした。
その頃から、私は彼に対して気構えなくなった。
ありのままで接して、ありのままを受けとめた。
彼はとっても野菜たちを大事に扱ってくれるから、納品先は彼じゃなきゃ嫌だなとすら思い始めた。
「…ちょっと、何ぼーっとしてるの…」
不機嫌な声に急に意識が引き戻された。
遠く聞こえていた台所のBGMはいつの間にか止まっていて、湯気の立つ大皿を持った彼が目の前に立っていた。
邪魔なんだけどと首をかしげられ、わぁあすいませんと横にどける。
「まったく…誰の為に作ってたと思ってんの」
とため息をつきながらテーブルをセッティングし始めた彼に、そうだった…と思った。
今日は、いつも通り納品しにきたら、彼が『…たまには君にこれで料理を作ってあげるよ』と言ってくれたんだった。
綺麗に並べられた皿に、きらきらと盛り付けられた料理たちに、なんだかとっても嬉しくなった。
(お帰りなさい)そんな気分になって、心の中で語りかけた。
生まれ変わって、会いに来てくれたみたい
料理をみて微笑んでいる私に、彼は「うわ…は?なにしてんの…?」と眉間に皺をよせて嫌悪を露にしたけど
ちょっと赤くなった頬を、私は見逃さなかった。
「ふふふ、何でもないです!食べましょう!!!!」
と笑った私に呆れながらも彼はイスに座った。
それを見て、私もその正面に座る。
「いただきます」
と食材に感謝して、合掌。
彼の作った料理はとてもおいしくて、どこか懐かしかった。
「チハヤさんの夢、きっと叶いますね!」
「っ!!?は…なに急にっ!!?」
自信満々に言い放てば、彼は真っ赤になった。
そしてすぐ青くなり、うわぁあ…言っちゃったんだっけやっちゃった…と肩を落として呟いていた。
そんな彼の恥ずかしがり屋な一面に、思わず笑いながら
「叶いますよ!絶対っ!」
とまた言い放った。
だって、あなたの料理は
こんなにも優しい味をしてるから。
冷たいコックの温かい料理
‐素直になれない彼の、秘めた温かさ‐
(料理は人をあらわすといいますよ!)
(へぇ、じゃあきっと君のは食べられたもんじゃないね)
(どーゆーことですか!!?)
、甘ったる過ぎて。
22.09