『目を覚まして寂しさに驚いて 明かりも点けず泣いてた』
(10-FEET/「SHOES」より)
「おはようヒカリ」
いつも通りの朝だった。
目を覚ませば朝日が眩しくて、兄のユウキが作った目玉焼きと焼いたパンの香りがしてお腹が鳴った。
顔を洗えば外からは鶏や牛や羊の声がして
席に座ればユウキが優しく微笑んでくれる。
いつも通りの朝。
何も足りない物はない。
足りない物はない筈なのに、何かを忘れている気がするの。
「行ってきまーす!」
「おお、気を付けてな!」
いつも通り家を飛び出して向かう先は、いつも通り…
向かう先は…
…
あら?
いつも通りってなんだろう。
私はいつもどこへ行っていたんだっけ?
もやもやもや。
胸に渦を巻くもやもやと不安に一生懸命ニューロンを辿るけど、何にもわからなかった。
あぁそうだわ、いつも街に行っていたじゃない。
そうだそうだ。何てことはない話なのに。
どうしちゃったのかしら。
街に行ってキャシーやマイや皆に会って、他愛もない話をするの。
そうよそうよ…いつもそうしていたの。
…その筈よ。
それでもいまいちスッキリしない心を振り払うように、私は街へ向かった。
「…そういやヒカリはどこへ行ったんだ…?」
いつも通りヒカリを送り出して、コトミにあげるハーブティーを作っていると、ふとそう思った。
…いや、確かにいつもヒカリはあそこに行くんだ。だから俺もいつも通りヒカリを見送って…
…あそこって…どこだっけ…
急にそこだけ抜け落ちてしまったように思い出せなかった。
いや、それだけじゃなくて、何か他の大切な記憶も
存在を消されるように抜けてしまっているような
…そんな気がする。
「神さま…、俺に寿命を下さい」
1週間前、俺は神さまにそう願った。
神さまは渋い顔をして「寿命ならあるだろう馬鹿者め」と言った。でも多分意味が解ってたんだと思う。言葉を変えてもう一度言うと、神さまは哀しい顔をした。
「神さま、俺を人間にして下さい」
さして驚くでも慌てるでもなく、神さまは静かに言った。
「それが何を意味するか…解っておるのか…。」
それが何を意味するか。
魔力を失う事や、禁忌を犯すその代償を払わなければいけないと言う事。
それくらい解っていた。覚悟の上だった。
それでも、それくらい、
「俺は…ヒカリが好きなんです」
それだけを告げ、まっすぐ彼の赤い目を見れば
「……わかった。」
人間にしてやろう。観念したように彼はそう言った。
「代償はわかっておるな?」
「…はい…。」
寂しそうに「そうか」と呟いた彼が、いつもの彼とはずいぶん違ったから。しんみりした空気に、「…ヒカリ…は、あげないよ?」
と言うと、いつもみたいな怖い顔に戻った。
ヒカリはあげない。
ヒカリを含めたこの世界の全ての人が俺を忘れてしまうけれど。
その代償を払っても、俺はヒカリを忘れない。もう一度、今度は人間として、俺は必ずヒカリと愛を誓おう。
「…じゃあね、俺…待ってて、…ヒカリ」
そう呟いた俺に神さまは手をかざした。
「俺を人間にして下さい」
こいつは馬鹿なのではないか?と思った。
その意味が解るかと問えば、揺るぎない目でヒカリが好きだと答えた。
そうだ、この目だ。
我の前に膝を着くこの小さな魔法使いに、我は適わないと思った。たかがこんなちっぽけな存在に、なぜ我が身を引いたか。なぜあの時ヒカリを奪ってしまわなかったか。
そうだ、我はこのまっすぐに怯える事無く我を見据える目に、追い付けぬと思ったのだ。
闇を抱え込んでいたはずの男を、眩しいとさえ思ってしまったのだ。
「そうか…。」
下界の全ての者が彼の男を忘れようとも、我は忘れる事はできぬであろう。
「ヒカリはあげないよ?」
このような憎まれ口を叩くような図太い男には会ったことがない。
「…ならばさっさとモノにする事だな」
呟いた言葉は、何やら呟いた彼には聞こえていないようだった。